2022.8.18

気になりながら長い間深入り出来なかった分野に、ヨーロッパのPewter(ピューター=錫)があります。静かで力強い存在感、質感や重量感は素晴らしく、他の材質には無い魅力があります。そして、アールヌーボーやデコ期、また、それ以後のモダンなものは、作者やデザイナー、工房や制作会社などがよく知られており、価格もばらつきが少なく、私も気に入ればあまり逡巡する事なく求めます。ところが、古いもの(特に磁器の食器が一般に普及する以前)は、心惹かれても「同じ丸皿なのに、何処がどう違うのか」「なぜ、この価格なのか?」etc、(勿論、銀器同様古いものは特権階級用で希少価値もありますが)私には奥が深すぎて、感覚と僅かな知識だけで選べる範囲を超えています。

あるアート&アンティークフェアで、大変心惹かれるピューターを見てしまいました。長さ85センチは優にある、シンプルでしっかりと美しい1700年代の鹿の背肉用大盛り皿です(昔の領主達は領地で仕留めた鹿の背肉で客人をもてなした、今でもご馳走中のご馳走です)。シンプルで圧倒的な存在感はモダンでさえありました。値段は、やはり、非常に高価です。「きっと売れないだろうナ」「どれだけ値引いてくれるのかナ」と密かに思い暫く様子を見ることにして、再びスタンドに戻ろうと足を向けると、遠くからでも穴が空いたようにその気配が無くなっていました。自身が古いピューターのコレクターでもある店主は、私を見て気の毒そうに「売れてしまった!」と、、、。

ところで、スウェーデンで一番と言われた彫銀家のW.Nilsson(1897–1974年)がいます。彼の銀作品は装飾を廃したシンプルな形状に、当時としては画期的な艶を消した仕上げで、ピューターのように落ち着いた重厚感があります。見る度に「これぞ洗練の極み」と感嘆し、頭にしっかり焼き付いています。また、逃したもののあの忘れがたい大盛り皿の姿が記憶の片隅にあり、出会い求めたのが写真の18世紀末のバロック型のピューターの盛り皿です。撮影のために雰囲気や時代を意識して、折々に求めたボヘミアの宙吹きデキャンターや本、羊皮紙に書かれた教会音楽の譜面などを並べると、何だか17、8世紀の静物画の雰囲気に包まれた画面となりました。