例えばゴッホの「ひまわり」や「バラ」、「アイリス」。そしてジョージア・オキーフのように抽象的に花を表現し続けた画家などなど。花は古典絵画の時代から画家たちを惹き付けて止まない特別な存在です。米国の著名な医師は、著書『心身爽快』の中で「週に一度は花を買って帰ろう!」と言っています。私もその言葉に納得です。嬉しい時、悲しい時、その美しさや自然の神秘、溢れる生命感が喜びを増幅し、沈んだ気持ちを元気付けてくれます。
私がデンマークに移り住んだのは1970年です。当時、この国は一人あたりの花の消費量が世界一と言われ、実際、街のあちこちに沢山の花屋があり、豊富な種類と安価さが、この国の贅沢ではない真の豊かさを象徴しているように見えました。私もよく皆と同じように、大きな花束を抱え、幸せな気持ちで家路に向かったものです。ところが日本での年半分の生活を始めると、お花の入手がなかなか難しいのが判りました。生産者の花に求めるものも違うのでしょう。種類は限られ、しかも人工的な感じがしたり、高価であったり、、、。そして、やがてデンマークの花事情も徐々に変化していきました。花屋の数は随分少なくなり、多忙な人々の生活を反映して、あまり水換えなどいらない遠い乾燥地からの花(?)やドライフラワーが多く出回ってきて、価格も上がりました。
生け花を習ったことのない私は、凝ったことは出来ません。それでも、器やアイディアで「少なくてあまり手間もかからない、長く楽しめる」花から、喜びや元気が貰える心豊かな暮らしを心がけたいと思っています。今回は、そんな私の過去の花のいくつかの例のご紹介です。
写真説明:左上より時計回りに
1)花器:古い手作りの針金細工の鶏かごを逆さにして。均一でない手作り感、作為のない生活道具の良さが気に入り購入。落とし:安定感の良い、イッタラの厚手透明ガラスのキャンドルホルダー。
花:トルコキキョウはあまり好きではないのですが、例外が白かクリーム色の縮れた大きな八重のもの。
2)花器:キャンドルホルダーとボンボン用の皿=“ナゲル”(デザイン:フリッツ・ナゲル、1960年代)を自由に組ませて。花:アナベル。植物:アスパラガスの枝と姫ベゴニアの葉。
3)花器:一度に9個購入した、古いフランスのワイン酵母用容器。このように安価で小さいものは、味わいある古いものを選び、それを集合させて一個として扱うと存在感が、、、。
花:ラナンキュラス。次々と下から出る蕾を生け続け、3週間程楽しめた。
4)花器:果物入れ(デザイン:Jacob Borch)。落とし:イッタラの透明キャンドルホルダー。
花:朱色のチューリップ(最初は長い茎の硬い蕾を別の花器で楽しんで、開きすぎたり、
5)花器:イッタラの濃紺ガラスキャンドルホルダー(デザイン:アルヴァ・アアルト)。花:木彫り金箔仕上げ蓮形仏花。江戸後期。
西洋のバロック様式をイメージし、元の花束を解体して束ね直した。イタリアの教会には針金に美しいガラスビーズ細工の半永久的な花束があり、日本のお寺には工芸としても素晴らしい金属や木製の仏花があります。
6)「夜目、遠目、傘の内」は実際以上に良く見える形容ですが、籠の内も同じです。少々くたびれた様子でも、少し枯れても、別物のように見えます。
花器:スウェーデンの黒陶器製花器(1970年頃)を、中国の竹製虫(鳥)籠に入れて。20世紀中期のごく普通の籠、竹製摘みを古い象牙に取り替えた。花:カラー
2020年8月 ユキ・パリス
著書『ずっと もの探し』(文化出版局2011年発行)
http://books.bunka.ac.jp/np/book_mokuji.do?goods_id=5518