2022.9.16

春一番に芽吹くマロニエの葉が落葉を始め、路上を舞い出しました。何処までも澄んで、いつまでも明るかった空も今は早く暮れ、光恋しい季節に突入です。そんなコペンハーゲン(日中温度約13〜18℃)から、残暑が続き、まだ涼感が嬉しい日本へお届けする今回の「デンマーク便り」は、水にまつわるガラスについてです。

 1960年代、ミッドセンチュリーの終盤に、ヴェネツィアのムラノ島やスウェーデンの著名な作家たちによって作られ注目を浴びた、一連の美しいガラス作品があります。一千年以上のガラス作りの歴史を持つヴェネツィアでは、美しい効果を見せる複雑で門外不出の技法が数々生み出されてきました。そして、1930年に新たに「SOMMERSO」(ソマーソ又はソッメルソ=イタリア語で水に沈んだ、水に沈めた)と呼ばれる技法が生み出されました。透明な厚手ガラスの中に、透ける色ガラスを二層、三層と重ね閉じ込めたもので、その様子が丁度、色ガラスを「水に沈めた、又は水の中」を見る様な、ということで付けられた名前です。色ガラスを閉じ込める技法は昔からありますが、この新しい技法は厚手の透明ガラスの中に色ガラスを吹き込み、またその中に別の色ガラスを吹き込む、、、この作業の中で色の層が混ざらないよう、また、空気が入らないよう真空技法なるものを用いて、あたかも「透明な色ガラスの層が自然に重力で水に沈んだよう」に見えるのです。色ガラスの色や組み合わせ、形は作家によって異なり、それぞれが一点物と言われますが、私は色とその組み合わせの美しさと共に、形をとても重視します。形は自由で柔らかい丸みあるものや具象的な形など様々ありますが、私の好みの形はキリッとメリハリある幾何学的、直線的なもの(この形が60年代に花開きました)です。この形作りには厚く大変重い、透明度の高い質の良いガラス=鉛分を多く含むクリスタルと、非常に熟練した職人の忍耐と集中力のいる手作業によるカット技法の面取りが必要です(ソーダガラスや質の悪いクリスタルでは、カット技法が出来ません)。

そんな「SOMMERSO」は世界中に広がりコレクターもいますが、私もいつ頃からかメッセなどで出会うと少しずつ求めるようになりました。日本では茶道具や和食器など夏が出番のガラスですが、こんなガラスを眺めると、欧米で一年を通して愛さている理由が、涼感ではなく、この「輝き」と「光」、「色」なのだと納得している私です。

※一番上の写真、右4点が「SOMMERSO」

 

 

2022.8.31

古美術商の看板を上げ、京都でショップをスタートして早や20年。開店以前の長い収集の年月や、オープン後の買付のための時間、、、自分でも呆れるばかりの時を「もの探し」「自分探し」に費やして来ました。思い返せば楽しいばかりの時間でしたが、気が付けばいつの間にか、古美術・骨董・ビンテージのマーケット事情も大きく様変わりしました。
これ!と心に響く良いモノは少なくなり、反比例するように価格は上昇線を辿ります。「需要が供給より大きい」状況を考えると納得の現象ですが、そんな変化の顕著なものが北欧のストーンウェアでしょう。

ストーンウェア(炻器)=高温焼成(約1200〜1300℃)で釉薬が胎土と一体化し、陶器や磁器に比べ、密に焼き締まった固くて重く丈夫な、文字通り石のような焼物です。
「美しいモノが人々の日常生活の質を高める」「Beauty for all」の信念に基づいた物作りは、北欧の製陶の分野にも大いに影響しました。大手製陶会社は工場内に工房を設立し、当代一流のアーティスト達(陶芸家に限らず彫刻家やグラフィックデザイナーなど)を国内外から迎え入れ、一点物や限定物のストーンウェアのアートピースの制作を本格的に開始しました。1930年頃の事です。
そして、シカゴ万博(1933年)、パリ万博(1937年)、また1950年代に米国、カナダを巡回した「スカンディナビア展」等を通して、北欧のストーンウェアが北米やヨーロッパの人々の興味、称賛を集め、今も’30〜60年代のモノの人気は絶大です。(ちなみに、米国のギャラリー・骨董店での人気のスタイル5選は、ルイ16世様式、アールデコ、バウハウス、ミッドセンチュリー、スカンディナビアモダンです)

 轆轤など手作りの良さを残しつつ、自然からインスパイアされた洗練された美しいフォルム。中国や日本の古い焼物から影響を受け、独自に発展させた様々な釉薬の色や表情(釉薬の専門家も工房で作業)。’30〜60年代のものは今見ても大変新鮮で、現代空間の中でも力強く存在感を放ちます。
私も大好きなジャンルのひとつですが、今の小さなパイの取り合いの様な現状に「もっと頑張って買っておけば良かった」と昔を懐かしんでも仕方ありません。今は「無理をせず、良い出会いがあった時だけ、、、」と、肩の力を抜いて下絵等にも目を向け、メッセやオークションなどで選んだのが写真のもの達です。

 

 

2022.8.18

気になりながら長い間深入り出来なかった分野に、ヨーロッパのPewter(ピューター=錫)があります。静かで力強い存在感、質感や重量感は素晴らしく、他の材質には無い魅力があります。そして、アールヌーボーやデコ期、また、それ以後のモダンなものは、作者やデザイナー、工房や制作会社などがよく知られており、価格もばらつきが少なく、私も気に入ればあまり逡巡する事なく求めます。ところが、古いもの(特に磁器の食器が一般に普及する以前)は、心惹かれても「同じ丸皿なのに、何処がどう違うのか」「なぜ、この価格なのか?」etc、(勿論、銀器同様古いものは特権階級用で希少価値もありますが)私には奥が深すぎて、感覚と僅かな知識だけで選べる範囲を超えています。

あるアート&アンティークフェアで、大変心惹かれるピューターを見てしまいました。長さ85センチは優にある、シンプルでしっかりと美しい1700年代の鹿の背肉用大盛り皿です(昔の領主達は領地で仕留めた鹿の背肉で客人をもてなした、今でもご馳走中のご馳走です)。シンプルで圧倒的な存在感はモダンでさえありました。値段は、やはり、非常に高価です。「きっと売れないだろうナ」「どれだけ値引いてくれるのかナ」と密かに思い暫く様子を見ることにして、再びスタンドに戻ろうと足を向けると、遠くからでも穴が空いたようにその気配が無くなっていました。自身が古いピューターのコレクターでもある店主は、私を見て気の毒そうに「売れてしまった!」と、、、。

ところで、スウェーデンで一番と言われた彫銀家のW.Nilsson(1897–1974年)がいます。彼の銀作品は装飾を廃したシンプルな形状に、当時としては画期的な艶を消した仕上げで、ピューターのように落ち着いた重厚感があります。見る度に「これぞ洗練の極み」と感嘆し、頭にしっかり焼き付いています。また、逃したもののあの忘れがたい大盛り皿の姿が記憶の片隅にあり、出会い求めたのが写真の18世紀末のバロック型のピューターの盛り皿です。撮影のために雰囲気や時代を意識して、折々に求めたボヘミアの宙吹きデキャンターや本、羊皮紙に書かれた教会音楽の譜面などを並べると、何だか17、8世紀の静物画の雰囲気に包まれた画面となりました。